自分の手番
人生の中で自分手番って何回回ってくるんでしょう。
カードゲームでいうところの「俺のターン」というやつです。
日常の中で「取りあえず無難な手を打っておこう」
と思うことありませんか?
あれこれ考えて、だんだん考えるのが面倒くさくなったり、
「そのうちにまた機会はあるよ」と自分に言い聞かせたりして
それを見送ってしまう。
結局「まあ間違いないだろう」
というアクションどまりにしておく。
それって、自分の手番がまた回ってくるよと
どこかで思ってるから?
私はどこかでそう思っていました。
また自分の手番が回ってくるから、と。
双申トータルゲームC
4月から、井上 淳之典さんの中村教室「経営ゲーム」に参加しています。
半年間毎月1回、集まって「双申トータルゲームC」という
経営ゲームをしながらお互いに感じたことをシェアする会です。
300円の資本金から、材料を市場から仕入、商品に加工し
それを販売しながら、人材を育て、収益をつくり
会社としての期を重ねて行きます。
「経営ゲーム」をやる中で
自分の思考の癖、恐れ、がはっきりと見えてきて
「これは痛いっ>自分」と思うことが幾つもありました。
「痛いっ!」となったひとつは
「とりあえずこのあたりで良いだろう」という
無難な手を打っている自分を見つけたこと。
↑ちゃんと1期ごとに決算もつけます。
手番は有限
この会での経営ゲームのやり方は対面です。
相手と順番に場に出ている「手番カード」を引いて
順番に仕入や販売などの自分のアクションを起こしていきます。
手番カードは全部で50枚。
二人で割ると一人25枚
1期の中で自分の手番は25回しかないということです。
そのことに途中で気づきました。
「えっ!?25回?」
そう手番は有限。
それから急に手番カードをめくる自分の後ろで
コチコチと時計の秒針が刻む音が聞こえてくるような。
手番は機会の扉
ひとつひとつの手番は機会の扉。
そしてその回数は限られている。
その手番の中で思い切った踏み込み方をすることで
その先の風景がつながってくる。
この経営ゲームで言えば、
思い切って仕入れすることでその先のチャンスをつかめたり
今は人を育てることに思い切って注力することで
先々の土台を作れるというような。
とりあえず無難な手を打っている時の私は
機会の扉をちょっと開けてそのままそこに居続けようと
していたのかもしれません。
扉は開けてその先に行かないと
その先の風景は見えてこないのに。
自分の人生の手番は何回?
自分の「人生の手番」は何回回ってくるのでしょう。
自分の手番に「今はまあ無難に」という手を打っているほど
人生は長くない。
思っているほど自分の手番は多くない。
直感的にそう思いました。
だとしたらどうする?
無難な手を打つぐらいなら、
さっさとトライしてさっさと失敗してその先に行こう。
失敗も成功もその次へのスプリングボードになるのだから。
↑「試練カード」
試練によって、自分の価値が上がったり下がったりする。
さりげなく書いてあるメッセージが実は深い。
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