あなたも「未来をみている」のかも
ちょっと不思議な話をします。
たまに「未来をみてしまうこと」があります。
「え~スピリチュアル系の話?」
「予言みたいなやつ?」
そうであるとも、そうでないともいえるかもしれません。
実はあなたも「未来をみている」ことがあるはずなのです。
心揺さぶられる風景
例えばこんなことはないでしょうか?
「あの制服を着て学校に通ってみたいな」
「あの国に旅している自分が想像できる」
「この仕事を形にした時に喜んでいる人の顔が見える」
それはただの憧れでしょうか?
実はそうでないかもしれません。
ここからは仮定の話です。
もし、その風景が見えるとしたら。
そしてその風景にあなたが心揺さぶられるとしたら。
その風景はあなたがたどり着くのを待っている
未来なのかもしれない、ということです。
待っていた未来
見てしまった風景に心揺さぶられたときに
私は「神様に肩をたたかれた」気持ちになります。
神様にこんなことを言われる感じでしょうか。
「どうする?やってもやらなくてもいいよ?」
「でもその未来はあなたをまっているかもしれないよ。」
ひとつ私に起きたことをお話させてください。
かつて私は路地裏遊びの会というコマ回しやけん玉の会を主催していたことがありました。
その会をつくるきっかけは、子どもたちとコマで遊んでいる時に、ふと風景が見えたことがきっかけでした。
「緑の公園で、色々な年齢の子どもたちがコマやけん玉で遊んでいる。そしてコマを教えあったり、喧嘩をしたり、仲直りをしたり、コマで競い合ったり」
そんな風景です。
その風景をありありと見たときに、神様が肩をたたいた気がしたんです。
「どうする?やってもやらなくてもいいよ?」
そこから一晩徹夜して助成金の申請書を書き上げて、
3年間国の助成金を頂きながら路地裏遊びの会を立ち上げて、「コマ回し大会」を開催していました。
そして、そこにはあの日みた、子どもたちの風景がありました。
実は誰もが未来をみる瞬間がある
私がいつも思うのは、
誰もが自分の未来をふと見る瞬間があるということです。
先ほどの路地裏遊びの会の話は
「そんなことないよ~」と思われるかもしれません。
でも、一度あなたの人生を振り返ってみてください。
ある日思い浮かべた風景が、そうなっているということはありませんか?
それはあなたがその風景を、その未来を選んだのです。
もし、あなたがある風景を思い描いて、
そして、それに心揺さぶられるとしたら。
ひょっとしたらそれはあなたを待っている未来なのかも、しれません。
文ちゃん 昨日はお疲れ様でした。
今日は議会、議員になって初めて反対討論をしました。
方眼ノートに書いて、聞く人の目線を意識して、反対理由を3点述べて終わりました。内容は議員報酬の増額改正です。私以外は賛成するシナリオだったのですが、終わってから聞いたら、私の後ろの席の議員さんが、起立賛成しなかったのです。
もしかしたら私の言葉が人を動かしたのかもしれません。
そして、昨日未来の方眼ノートで、私は9月には、選挙で1000票とって議長になっていると、未来を書きました。
今日は、8月の選挙の日程が発表されました。8月27日が、当選日です。
こんな偶然も、自分が未来をみたから、やってきた気がしました。
ホテルが一緒で、
実は声をかけませんでしたが、
岐阜で同じ新幹線から降りたようで、
階段を改札口にいく文ちゃんの後ろ姿を見ました。
お疲れ様でした。
そして、いつも許可を出してくれてた
文ちゃん、
ありがとう