東日本大震災から5年/「被災地を訪問して」2012年の原稿

東日本大震災から5年

東日本大震災からもう5年。毎年仮設住宅の法律相談支援に伺っていますが、現地は復興とはまだほど遠いといっていい風景を目の当たりにします。

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この写真は陸前高田へ訪問させていただいた折に仮設住宅の玄関にそっと置いてあった四つ葉のクローバーです。 仮設住宅周りをする中で聞かせていただいたひとつひとつの、ひとりひとりの物語。その物語こそがなにかを深く伝えてくれるものがある気がしています。この四つ葉のクローバーの様に。

こちらに掲載する原稿は「被災地を訪問して~東日本大震災から1年半~」と題した2012年年末に書いた原稿です。年頭にでる司法書士会の会報誌掲載用に書いたものをリライトしました。すこしかたい文章ですが、震災のことを忘れないためにこちらに再掲させて下さい。

「被災地を訪問して~東日本大震災から1年半~」

1.はじめに

あの忌まわしい東日本大震災が発生した平成23年3月11日から数えて約1年8ヶ月、遠く離れた岐阜の地で日々を送る身としては、はるか昔のことのように錯覚しがちですが、被災地の復興は道半ばにもほど遠い状況で、今も全国からの様々な支援が必要とされていることに何ら変わりはありません。

まだ震災の色濃い平成23年8月、日本司法書士連合会(日司連)の呼びかけによる支援として岩手県陸前高田市、翌24年8月には、全国青年司法書士協議会(全青司)からの呼びかけに応えるかたちで岩手県宮古市を訪問する機会をいただきました。今回、平成24年に宮古市を訪問した折に体験したことを中心に、感じたことを書いてみたいと思います。

2.被災地の司法書士業務への支援

司法書士による被災地支援は、当然のことながら「法律相談」を中心とした内容であり、2度の訪問とも基本的に仮設住宅を回って相談を受けるというものでした。集会所のような場所をお借りできればそこが「法律相談会場」となり、告知チラシを各戸に配って相談会を開催する。
また、時間や会場の都合で法律相談会が開けない場所では、各戸を訪問しながら困りごとに耳を傾ける、というかたちでの支援を行っていました。

毎週末に各地の司法書士会から交替で現地入りして、リレーで支援を行っており、前週に入ったチームからの引き継ぎを受けて活動が始まります。
法律相談会といっても、誰かが準備してくれる訳ではなく、事務局的に請け負ってくださっている先生たちとメーリングリストを通じて連絡を取り合いながら場所探しや設営、告知など、自分たちで行う活動となります。特に陸前高田市では、震災から約5ヶ月経過して混乱が収まっていない時期に、仮設住宅の場所が大雑把にしか分からない中レンタカーに乗り込み、がれき除去作業を横目に見ながら、地図とカーナビを頼りに仮設住宅を探すところからのスタートでした。

3.宮古市での被災地相談

平成24年の訪問地である岩手県宮古市田老町は、明治29年、昭和8年と続けて大津波による壊滅的な被害を受けた土地です。その経験を元に、海面から10mの高さを有し、『万里の長城』とも呼ばれた長大な防潮堤が築かれていましたが、今回の津波は、そんな人間の行為をあざ笑うかのように防潮堤を越えて町に襲いかかったそうです。宮古市訪問は震災の約一年半後のことで、がれきは撤去されて一見すると落ち着きを取り戻しつつある一方で、震災直後とは違う新たな問題を抱えているのでは?というのが第一印象でした。
初日は田老町にある仮設住宅の集会所での一日法律相談、翌日は山間部に点在する小規模な仮設住宅で戸別訪問をしながらの支援活動を行いました。

今回感じたことの一つは被災地だからといって、特殊な知識を要する相談が多い訳ではなく、通常の法律相談の範囲で対応できる案件が数多くあり、むしろ「今迷っていることについて、誰かの意見を聞きたい.」という気持ちで会場に来られたり、玄関先で話をして下さる方が多いという印象です。これは日常での法律相談でも実は同じかも知れません。

また、もう一つ強く感じたことは、前年の陸前高田の時に比べて、多くの方が悩みや困りごとをあまり口にしないということでした。それでも、世間話をしているうちに、次第に法律関係で困っているという話をしてくださったり、「実は、」と悩みを打ち明けて下さる方もでてきます。

その中で、ほぼ共通だったのが「困っているのは“お金”だよ」、「お金さえあれば何とかなる」という言葉。今回の相談の中でも「仕事がない」という方が複数おられましたし、細切れの支援金で生活をつないでいる人の多さにも驚きました。
そんな状況で、当初2年間とされていた仮設住宅の居住期限を延長する例が相次ぎ、宮古市でも3年間に延長する措置がとられています。しかしそれでも3年。残された1年半で新たな居住場所を確保できる目処がある人、ない人の格差が存在します。そして、住居の問題は経済的な問題に直結しています。また、仮設住宅を回っている最中、資金のある人が土地を買い、新しい家を建て始めたり、実際に新居へ引越して行ったという話も耳にしました。
「(永住を前提とした)復興住宅」が建つのは4,5年先と言われています。実際に「最初は同じ集落のみんなで、必ずここ(元の集落」へ戻って来ようねと言いながら仮設でも助け合ってきたけれど、新しい家を建てる場所は1箇所ではなく、そうやって人が離れていってしまうことが一番寂しい。」という声もあり、経済的な問題から仮設住宅に住み続けざるを得ない方達の「取り残された」という感情と現実を強く感じました。

4.司法書士による被災地支援の現状

被災地では、現在も住民の生活再建に関する様々な策が講じられており、それとともに損害賠償や雇用、ローンや相続などの法的な問題が表面化しつつあります。日司連も全青司も、震災直後から「司法書士として支援に取り組む場合、何が出来るか」を話し合い、相談活動の支援に取り組んできています。震災の直後には常設の会場を設けるのが困難だったため、国や自治体が企画した相談会場に「相談員としての司法書士」を派遣する方法と、今回私たちが経験したような、比較的大きな避難所を巡回しながら相談に乗る二つの方法を主としてきましたが、司法書士による被災地支援の最近の動きとして、全青司による岩手県内の巡回相談のほか、陸前高田相談センターが平成23年10月、大槌町相談センターが同年12月に開設され、陸前高田センターは周辺自治体を含めて約2,500世帯を担当。同様に大槌町センターは約5,000世帯を担当しており、毎週土日に巡回相談を実施していることが挙げられます。

5.おわりに

現地に入っての被災地支援の話に私が手を挙げたのは、阪神・淡路大震災の際に司法書士がいち早く被災地支援に動いたこと、岐阜県会から参加者を募り被災地支援を行った先輩方の体験談、そしてこの震災での司法書士の活躍が簡裁代理権を付与することにつながった、という話を聞いたことがきっかけでした。

司法書士として自分が遠く岐阜から現地入りすることが、どれだけの貢献につながっているかについて、未だに自分の中の疑問符(それこそその分の交通費を寄附した方がいいのではとも頭をよぎります。)は消えていませんし、そもそも支援とは何かを自分自身模索中と言ってもいいのが現実です。
しかし、東日本大震災震災をはるか彼方の出来事として思考停止をしないこと、「何が支援か」という問いを自分の中で持ち続け、繰り返し問いかけることは継続していきたいと考えています。

今後は、現地に向けた支援のみならず、被災者が移住を余儀なくされたそれぞれの土地での支援が重要になっていくと感じています。岐阜県内にも多くの被災者が転入されており、岐阜だからこそできる被災地・被災者支援のあり方を、多くの方と考え、実践していけたらと考えています。
最後に、被災地に立ち、被災者の方達とお話をしている中で詠んだ、つたない句をご紹介して終わりにしたいと思います。最後まで読んで下さってありがとうございました。

母と子の離れ住む地よ車百合

仮設住宅に松明贖う人がいて

三陸の海静かなり夏果つる

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