綿花ってみたことありますか?
あなたは綿のできたところを
見たことありますか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%BF
明日の七十二候は「綿柎開(わたのはなしべひらく)」です。
「綿柎開(わたのはなしべひらく)」というのは
綿を包むガクが開き始める頃という表現です。
七十二候(しちじゅうにこう)とは、古代中国で考案された季節を表す方式のひとつ。二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けた期間のこと。
各七十二候の名称は、気象の動きや動植物の変化を知らせる短文になっている。中には、「野鶏入水為蜃」(キジが海に入って大ハマグリになる)のような実際にはあり得ない事柄も含まれている。 Wikipediaより引用
綿の実が割れて、中からふかふかと綿が膨らんでくる様は
いつ見ても不思議な気持ちになります。
自給自足という言葉
20代の頃、千葉の綿花農家に通って、
綿の栽培から、綿摘み、綿の紡ぎ、機織りまで
していました。
鴨川和棉農園
http://wamen-nouen.life.coocan.jp/
綿の種を蒔き、収穫し、インドの糸車のチャルカで糸を紡ぎ
原始的な機で織りすすめる。
何ヶ月かの末に出来上がったのは小さな綿のマフラーでした。
綿花のわずかな色のグラデーションを使って、端にストライプを
入れました。
ささやかな「衣」の自給です。
なぜ、綿花農家に通うようになったかという、その一番きっかけは
母方の祖母の話を中学校時代に聴いたことでした。
祖母はカイコを飼って、そこから糸を紡ぎ機を織り、着物に仕立てるまでを
自分でやっていたそうです。
私の祖母は私が生まれてすぐなくなっているので
実際に話を聴いたことはありません。
それでも母伝えに聴いたその話に衝撃を受けました。
自分の2世代前は「衣の自給」をしたのだ!と。
私が千葉の綿花農家に通って、やっていたことは「衣の自給」の
まねごとにすぎません。
それでも、「衣の自給」に近いなにかをしたくてしょうがない気持ちを
押さえられなかったのだと振り返って思います。
もう一つのきっかけは
『ガンジー・自立の思想―自分の手で紡ぐ未来』という本です。
私が糸紡ぎに使っていたインドの糸車の「チャルカ」
これはガンジーがインド独立の象徴としたものです。
ガンジーと自給自足についてはまた記事を改めて書きたいと思います。
自給が基本
いつも思うことは
「本当は自分で自給するべきものだけれども、
それは社会の他の誰かが替わってやってくれているのだ」ということ。
それは「衣」も「食」も「住」も。
もちろん、この複雑化し社会の中で「衣」も「食」も「住」も
自給することは難しいことだと思います。
それでも、「自給が基本」であるということ。
「誰かに替わりにやってもらっている」ということ。
そのことを忘れずにいたいと思っています。
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