光できたパイプオルガン/『告別』宮沢賢治

卒業式は別れの季節

今日は各地で小学校の卒業式が行われていましたね。

今年は各務原市教育委員会教育委員として、幾つもの卒業式に来賓参列させていただきました。

今日、各務原市の小学校卒業式に参列していて宮沢賢治の『告別』という詩を思い出していました。

『告別』宮沢賢治
※ブログ記事の最後に転記します。

詩の内容は、宮沢賢治が自身が先生をしていた花巻農学校を離れる際、学校の生徒たちに贈ったものと言われています。

恩師から手渡された詩

もともと私は宮沢賢治が好きでしたが、その中でもこの「告別」は特別な詩の一つです。

それはなぜか。
私が大学を卒業するときに大学で私に民俗学の手ほどきをしてくれた恩師が贈ってくれた詩なのです。

恩師は私に是非大学院で民俗学の研究を続けるようにと勧めてくれました。

しかし「やはり卒業して社会にでます」と言った私に

「社会のどこにいても民俗学はできます。あなたの足であるいて、目でみている限り、フィールドワーカーとして学ぶことはできます。」と送り出してくださいました。

私が折に触れ、自分のことを「生涯一フィールドワーカーです」というのはそんな訳があるのです。

大学時代の恩師は私にこう言いました。

『告別』の詩は私が私の恩師から贈ってもらった詩。
だからあなたにもこの詩を贈ります。
この詩の一節を思い出すたびに、自分は自分の仕事をこれでいいのかと振り返っているのです。

この一節とは『告別』の中のこの言葉。

「なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ」

今日卒業式で出会った子どもたちは6年前は1年生。

自分は6年前どこにいて、そこからこの6年どこに向かおうとしているのだろう。

宮沢賢治の詩を思い出したのもそんな気持ちからかもしれません。

最期に宮沢賢治『告別』を全文転載します。
是非読んでみて下さい。

『告別』 宮沢賢治

おまへのバスの三連音が
どんなぐあいに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう
泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管くわんとをとった
けれどもちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮らしたり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ


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