Uber再体験
あなたはタクシーに乗ることありますか?
タクシーサービスに似た仕組みで、今Uberという仕組みがあります。
先日は東京でUber初体験をしました。
この時は噂のUberを体験したことに感激しこのブログを書きました。
そして、今日2回目のUber体験で新宿→四谷の乗車をしました。
ひとつの体験に閉じこもらない
今日このブログでお話ししたいのはUberの話ではなく、この2回のUber乗車を通して、ひとつの体験だけで「なにかをわかった気になってはいけない」と感じたお話です。
前回のUber体験では記事のリンクにあるように運転手さんからいろいろお話を聴かせていただきました。
ところが今日乗ったUberではまったく別の話、ある部分は正反対ともいえるお話を運転手さんから聴くことになりました。
例えばひとつ例を挙げれば
一人目のUber運転手の方は
「Uberは礼儀正しいお客様ばかりなんですよ。」二人目のUber運転手の方は
「夜とかは酔っぱらいの方が乗られたりして苦労することがよくあります。」
どちらが正しいというわけでなく、様々な風景があるというのが正しいのでしょう。
ただ、ここで「ハッ!」としたのは、
私が「ひとつの体験」から、「Uberってこういうもの」とそこから考えること感じることをやめてしまっていた、ということです。
もちろん、最初のUberの運転手の方に聞いたお話は「事実」です。
その目の前にある「ひとつ事実」の中でとどまらずに「もっと別の事実はないかな?」と探すことができたら。
目の前で体験したこと見たことを、
「これしかない事実」ではなく
「沢山ある事実のなかのひとつの事実」というとらえ方ができたら。
自分の知っていることは全体の一部でしかない。
いつもそう思っていたい。
そう思っていれば新しい視線を持っていられると気づいた体験でした。
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