長崎の戸籍がつないだ物語/サイトにお便り頂きました

お便り頂きました

この青木文子の森羅万象ブログももうすぐ400記事を越えます。

最近は
「ブログ読んでるよ」
「あの記事読んでこんなことを思ったのよ」
などと反応を頂くことも増えてきています。

自分の発信に反応を頂けるとやはり嬉しいですね。

そんな中、ある見知らぬ方からメールを頂きました。

その方はこの長崎に関する記事を読んでお便りを下さったのでした。

時空を越えて届くこと/3年前のツイートに450リツイート
無題

この記事は長崎に関するある戸籍との出会いをツイートしたところ、450以上のリツイートを頂いたという記事です。

このお便りを下さった方も、そんなリツイートの一つを読んでくださったのでしょうか。

ご本人にご了解をいただいたので、引用でお便りを紹介させていただきます。

森羅万象のブログの長崎原爆の記事を拝読させていただきいたく感動した次第です。

私は父方が長崎で祖母が被爆者なんですね。

父方は長崎で原爆後、福岡に(逃げるように)引っ越してきたと聞いています。なので私自身は福岡生まれ福岡育ちです 。
(高田馬場は第2の故郷(笑))

数年前父が逝き、
保険やなんだで父の戸籍が必要になったのですが、原爆投下と終戦の大混乱の中で、戸籍や住民票といった平和な民主国家では「あたりまえ」の制度もほとんど機能していなかったと思われいろんな意味で入手等に大変苦労しました。。
ちなみに父は昭和20年12歳なので原爆の時が小学校(国民学校?)6年だったんです、なので卒業証書がありません。
なんどか問い合わせたのですが、「当時の記録がないので・・・・」ととうとう貰えず仕舞いであの世へ。
ただ。なくなるの数ヶ前に、東京に遊びに来てくれて、大熊銅像や大隈さんの前に並びました!
(当然ながら私は私の力 だけで早稲田にいけたわけではなく、子供のころからきつい想いばかりした父のお陰で今の自分があると 思っています)

祖母は被爆者です。
父の3回忌でおばから聞いた話、祖母は戦後に生まれた子(私にとってはおじ)が進学し就職するまでは
頑として原爆者手帳は貰わないと言っていたようなんですね。
被爆2世でいろんな差別不利を隠したい母の強い強い子に対する思いがそうさせたのだと。。

本当に戦争はいけません!核兵器はいりません!
・・・
最近で言うと、福島から非難している子がいじめにあい、こともあろうか「福島菌」が・・・なんてことがありましたね。
このニュース聞いて、なんと情けないこ とか。いじめも悪いが、放射能を菌って!と、本気で心が痛みました。。

先生の投稿記事を拝読し、人生も終盤戦、最後に私も亡くなった父、祖母の為にも戦争や原爆を風化させないよう、法律関連の仕事を目指してみようと思っています。

この方は50代の方。

数日間に書いた「物語の交換」そのもののようなお便りでした。

物語の交換/ラジオから聴こえてくる声

この青木文子の森羅万象ブログはとてもささやかなブログですが、これからも私の心に触れたものを発信していきたいと思っています。

ブログを読んで何か感じた方はぜひお便り頂けると嬉しいです。

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