「それはその人にしかわからないのです」/ムスリムの方との対話

その人がどうであるか?

ある人のことを、ほかの人が評価することってありますよね。

あなたも「あの人はまじめな人だ」とか
「あの人はふざけている人だね」とか
心の中で思ったり、言葉にしたことはありませんか?

その人がまじめであるとか、ふざけているとか
それはどんなものさしで決めているのでしょうか?
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実はあるところで言われた言葉に「ハッ」とさせられたのです。
今日はそのお話をさせてください。

先日岐阜モスクに伺いました。

先日岐阜モスクに伺いました。

その時のことをこちらの記事に書いています。

「岐阜モスク」知っていますか?/イスラーム文化講座伺ってきました。

イスラーム文化講座に参加した後、ムスリムの女性の皆さん手作りの各国料理でもてなして頂きました。
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ムスリムの皆さんはある戒律の中で生活をされています。毎日の礼拝や断食月、そして食べ物の戒律などがあります。
そんな素敵な昼食を頂きながらそのムスリムの方たちの生活や考え方のお話をいろいろと聞かせていただいていました。

その中でふとこんなことを尋ねてみたのです。

「イスラムの戒律をまじめに守っているムスリムの方が多いと思いますが、例えばそうでないムスリムの方もおられますよね?」

その言葉にこんな返事が返ってきました。

「例えば、パッとみてまじめに見えないムスリムの人がいるとします。でもその人は礼拝や毎日のなかで、アラーと深く対話して向き合っているかもしれない。だとしたらその人は素晴らしいムスリムです。

逆に、みんなから見てとてもまじめに見えるムスリムの人が、実はアラーと向き合っていないかもしれない。

その人がどんなムスリムかということは、その方しかそれはわからないのです。そして、その人と神の問題なので、他の人が判断してなにかいうことではないのですよ。」

その人でしかわからない

その人と神の問題。
それはその人でしかわからないこと。
他の人は判断できないし、判断することでもない。

この意識の持ち方は、その人のことを「決めつけない」のだと思いました。
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方眼ノートの見方でみれば、その人の一見不真面目に見える振る舞いという「事実」を勝手に自分の「解釈」だけで閉じ込めないことと言ってもいいかもしれません。

同時に自分がどうあるか、は自分だけしかわからない。人を「解釈」で見ない。人の「解釈」を気にしない。

自分の「解釈」だけに閉じ込めないというあり方は

自分が人にどう思われるかは気にしない、
別の人のこともその人がどうであるかははわからないと尊重すること。

いうことに思えました。

それは自分がどう生きるかということを、自分できちんと引き受けていることだと感じさせられました。

「事実」と「解釈」を分けられると世界が違って見えてくる。
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